murasehisariの写真屋さん日記

学校アルバムの仕事をメインに街の写真屋さんでお仕事してるmurasehisariの日々是徒然日記です

「見え方」の問題なんだな、と感じたこと

今日は久しぶりに祭日にお休みが取れたので、隣の市の近代美術館で開催されている日仏交流150周年記念事業『マティスとルオー展』に娘達を連れて行ってきました。元々自分が絵を観ることが好きだったので、子供が小さいときから夏のイベントは「水族館」と「美術館」へ行くことでした。まぁ、本物を見ることはいいことだとも思いますし、物心ついたときからそうやって連れ出している所為か、子供たちも絵を観ることは好きで今回の展覧会もテレビで宣伝するようになった頃から「いつ行くんだ?」とせっつかれていたくらいでした。
この展覧会に行くまで、マティスとルオーという二人の画家は、全く違う作風で作り上げた世界もイメージの違うものだと思っていました。しかし、二人が師事したと言うギュスターヴ・モローの絵から始まってまだその師のもとで勉強していた時代から年代を追って作品を辿っていくと、同じイメージのものというか、一本真ん中に通っている印象が同じ様な気がしてきたのです。
一つ一つ観ていくと作品は全然違うんですが、全体を通してみるとかけ離れていないんですね。「素晴らしき芸術への共感」というのが展覧会の副題でしたが、そうか共感なのか、と今思い返してみて改めて納得しました。
ルオーのごつごつした色合いの中に、美と醜を超えた「人の持つ美しさ」を感じたり、マティスのはっきりとした色彩から「人の柔らかさ」を観たり、所々に書かれている解説に助けられながら、この二人がどの作品のときにどういった環境にいて、周囲はいったいどう変わって行き、それに何を感じて作品に転化されたのか、私なりに読み取っていくのはなんとも楽しいことでした。
私でも「見たことがある」、と思ったマティスの「JAZZ」という一連の版画作品は、マティスが外科手術を受けてから長くカンバスに向かっていられなくなったために編み出した表現方法なんだと今日始めて知りました。そのくっきりはっきりした色と形の対比が、切り絵から生まれたものだと知り、今にも動き出しそうな絵の印象が自分があまり動けなくなってからのものだ、と思うと驚きでした。また、ルオーの宗教画として描かれた風景画が、全てが実際に聖地にいったことがないルオーの想像から描かれたものだというのも驚きでした。
想像というのは、かくも素晴らしいのか、と思ったのです。
このマティスの版画「JAZZ」が出展されたのにあわせてマティスに対抗する!ということで、今日は特別イベントが開催されました。「笑点」でおなじみの林家正楽師匠と県在住のジャズバンドによる「即興切り絵製作コラボレーション」です。初めはどんな風になるのかなと思っていたんですが、切り絵ってものすごく動きのあるものなんですね。会場を沸かせるためというだけでなく、動きながらだから紙が動きのあるものになっていくのかなと思うくらい、出来上がりは素晴らしかったし、師匠による伝統芸能「切り絵」がジャズをバックにどんどん動いていくのはカッコイイしなんだかこういうのは悪くないなぁと思ったのです。「切り絵」とジャズの共演は史上初ということですが、いいものを見る機会に恵まれたなぁと実感しました。切り絵は紙を切るわけですから色は白と黒のモノトーンの世界ですが、「色彩の魔術師」マティスに全然負けてないです。ホント、華やかな感じでした。

視力としての「見えること」と、観て感じてそれをどう表現するかの「見え方」は前者は視力表を使って数値に置き換えることは出来るけれど、後者は数値に置き換えることなんて出来ないんだよな、と今日のように絵を観てきたりすると感じるのです。