murasehisariの写真屋さん日記

学校アルバムの仕事をメインに街の写真屋さんでお仕事してるmurasehisariの日々是徒然日記です

老眼を自覚するとき

もう15年以上メガネ屋さんをやっているので、知識としては身についていた「老眼」と言う状態ですが、実際自分が自覚するとなるとなんだか納得する前にいやだなぁと思うものなんだなぁと感じています。
たとえば携帯電話を手に取ったとき。午前中はまだ調子が良くて焦点もすぐに合うし、見え方もなんら問題なくて文字だってたいして大きくする必要も感じなくているんだけれど、午後になるとふと目を落としたときにすぐに焦点が合わなくて、見えているのになんだかはっきりしなくて、うーんと身体を離したくなる。そうだな、5センチくらい離すといい感じの見え方になるんだけれど、そうやって身体から携帯を離したときに「あっ」と自覚する。これが老眼なんだ、と。
それまではたいして苦労もなく見えていたメガネのレンズをとめる部分の小さな螺子。サイズは1.4ミリ×2.7ミリなんていう小ささでそれをピンセットでつまんで螺子穴に差しこみ、プラスドライバーでまわす。その小さな螺子の頭がぼやんぼやんとぼやけてはっきりしなくて、イライラしてメガネを外すことが多くなった。まいったなぁ、私は球面度数が−1.50Dに対して乱視が縦方向に−1.00Dあるんで、長い時間見ていると横ははっきりするけれど縦が余計にぼやけるんですよ。螺子を回す一瞬なら何とかなるけれど、時計の金属バンドの細かいコマをいくつも調整するだなんて仕事のときはメガネをかけたり外したりで、もう忙しくて仕方がない。
自宅に帰ってからもそれは続く。鍋を手にとって、なにかしら調理材料の説明書きを読もうと思ったときに近視補正のメガネを掛けていると焦点が合わない、化粧品の、特に口紅の裏側のレッドなのかローズなのかの小さな表示がすぐにわからない、文庫本はメガネをかけていないほうが落ち着いて読める、などなど本当にたくさん!
今までたくさんのお客様からこの「老眼」の相談を受けて、20代30代のときはデータとしてしか状況がわからなかったから、たとえば昨日の年齢別加入度数表にあるようにこの年ならこのくらいが妥当、と言う考えでしか話せなかった。手元を見るためにはこういった度数を使わないといけませんよ、と言い切ってしまうのは今考えるととても乱暴な言い方だったなぁと思う。少しでも楽なように、少しでも気が晴れるような見え方になるように、同じ度数を勧めることになってもその気持ちがあるとないとでは選ぶ言葉が違ってくる。

先日のセミナーでもらったモニターレンズでは、サミットプレミアムの11ミリタイプで遠近両用レンズを作ることにしたんだけれど、営業さんの話ではこのサミットプレミアムの11ミリタイプとサミットプロの14ミリタイプの揺れの出始めの等高線(スキュー変形曲線)がほぼ同じなんだそうだ。遠近両用の考え方の一つとして、目線の上げ下げが少ないほうが身体の動きとしてはより自然な見え方で、またはたから見た印象も若々しいと言うのだけれど、そりゃあまぁ手元を見るたびに顎をぐんと突き出すしぐさよりもそれがないほうが自然に見えることだろう。でも累進帯を短くすることで起こる弊害もたくさんあって、一番大きいのは側方部の揺れが大きくなることなんだけれど、それがかなり改善されたと言うのでまぁ試しに使ってみてという本当に「モニター」になっての「初めての遠近両用メガネ」になるわけだ。
しかしすぐに出来てくるわけじゃなくてレンズの納入が12月の頭だと言うのだから、それまでの1ヶ月ちょっとはまだまだ老眼の自覚する日々が続きそうなのです。


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