murasehisariの写真屋さん日記

学校アルバムの仕事をメインに街の写真屋さんでお仕事してるmurasehisariの日々是徒然日記です

「見る」とか「見える」とかってどんなことか

今夜は「見る」とか「見える」とかということについて、今までの自分の感覚をもう一度考えるような番組を見ていました。一つはずいぶん前から好きで、今回日本で展覧会が開催されるとあってどうにかして観に行きたいと思っているアンドリュー・ワイエスの作品の紹介とそのワイエスへの貴重なインタビューがあるという「新日曜美術館http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2008/1207/index.html と、フジテレビの「エチカの鏡」での、視力を失ってからは妻が目の代わりになって写真を撮り続けているご夫婦の話です。
アンドリュー・ワイエスの絵とはじめて会ったのはもう10年以上前になると思うけれど、長岡の県近代美術館にワイエスのあれは確か柿の絵だと思うんだけれど、黒っぽいしんとしたまるで枯れ木のような木肌の間に、一個だけぽうっと浮き出したように柿赤の実が描かれている絵があって、見ているとその場の空気がすごく冷たい感じがするのに生きてるって感じがして、なんだかすごいなぁと思っていたんですね。そのころはそれがアメリカの国民的画家「アンドリュー・ワイエス」だとは知らないでいて、何度か観ていくうちに少しずつ知っていくことが出来たその作品の世界観が、この番組を見ることで画家としてというよりも人として生きている中で、出会ったもの感じたこと成長する過程での葛藤、また反発などを、こちらからも観える絵画と言う形で描き表わし、またその描くという工程でも何度も「見かたを変える・検討する」ことで作り上げて行ったものだったんだとわかって、見るという一瞬の出会いをそれで終わらせない強さはただ感情を描き込めたと言うだけでなくそこにある「生きている時間」を見せているからなんだ、と思ったんです。ひどく冷たい風が吹いているように感じる絵や、はるか遠くに見える家にたどり着けない孤独を感じる絵の中にも、ふとそれとは正反対の熱や明かりを見つけることが出来るのも、その絵の中に熱い熱も明るい光も描かれているからだと思うんですね。
もう一つの番組ははじめは何気なく見ていたんだけれど、奥様が視力を失ってしまったご主人の目になって、世界中を旅して写真を撮っているご夫婦の話で、最初これは本当に申し訳ない感想だけれど視力を失ったら写真なんかまともに撮れるわけがない、と思っていたんです。素人考えだから、ピントが合わないんじゃないかとか方向が定まらないんじゃないかとか、いろいろ「出来ないこと」にばかり目が行くんですね。でも、奥様がご主人の目になるということがいったいどういうことなのか、観ているものを一つ一つ説明することとそれを信用することの凄さは、撮った写真に現れているんです。
これが本当に見えない人の撮った写真なのかと思うくらい、美しい写真でした。ただ綺麗なのではなくて、光や温かさがそこにあるんです。でも、それは何度も何度も繰り返しやり直しした試行錯誤の中で出来上がってきたものなのかもしれません。奥様はインタビューの中で「喧嘩してたらいい写真は撮れません」と言ってらっしゃいましたが、気持ちが沿わないときにはそれが写真に出るのだろうとか、ぴたりと沿いあったときには素晴らしいものが出来上がるのだろうかとか、そのときの嬉しさはどんなものなのだろうかとか、いろいろ考えさせられました。
どちらも、いいなぁとかうらやましいなぁと言う感覚で観ていてはいけないものだと、なんだか背中をぴしんと叩かれたような番組でした。日々なんでもない中で出会う一つ一つの「見えるもの」が私に何を思わせるものなのか、せかせかしてばかりいないで考えてみたら、と観終わって思ったのです。
アンドリュー・ワイエスの展覧会「アンドリュー・ワイエス 創造への道程」は現在東京・渋谷のBunkamuraザ・ミュージアム http://www.bunkamura.co.jp/museum/index.html にて12月23日まで開催しています。これにはいけそうもないけど来年の福島の会期には何とかいけるかも、と考えています。ぜひぜひ、実現したいです。
<「アンドリュー・ワイエス 創造への道程」巡回展>
愛知県美術館(名古屋)  2009年1月4日〜3月8日
福島県立美術館(福島)  2009年3月17日〜5月10日



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